オギンスキ邸博物館のオランジェリー(Оранжерея музея-усадьбы М. К. Огинского)
ザレスィエ(Залесье)(スマルホン地区、グロドノ州)

2026年10月時点で出典を確認済み
- 年代
- 19世紀。2015年に修復
- 建築家
- オランジェリーは記載なし。宮殿:ミハウ・シュルツ(設計)、ジョゼフ・プシエ(完成)
- 様式
- 宮殿に付属する新古典主義のオランジェリー。大きなアーチ窓のアーケード状の回廊と、斜めのガラス面をもつ翼
- 状況
- 邸宅博物館の見学に含めて一般に開放。月曜休館
作曲家ミハウ・クレオファス・オギンスキの邸宅博物館があるザレスィエでは、1802年から建てられた新古典主義の宮殿に、二つのオランジェリーが隣接しています。大きなアーチ窓のあるアーケード状の回廊と、それに直角に接続した、日当たりの側がすべてガラス張りになった翼です。20世紀に邸宅の用途は変わり(戦時中は小学校がオランジェリーの建物を使いました)、その修復は2015年9月に完了し、オランジェリーは息を吹き返しました。今日そこでは200を超える種が育ち、柑橘類、オリーブ、イチジクが含まれます。一つの広間では期間限定の展示が行われ、もう一つではカフェが営まれています。
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歴史
ザレスィエは、15世紀末のベラルーシの地図に小さな私有の農場として現れ、18世紀にオギンスキ家に渡りました。1802年、亡命から戻ったミハウ・クレオファス・オギンスキ(Michał Kleofas Ogiński、1765~1833年)は、叔父のフランチシェク・クサヴェリ(Franciszek Ksawery)からこの領地を受け取り、古い木造の家の隣に新古典主義の宮殿を建てることにしました。設計はヴィリニュス大学の教授ミハウ・シュルツ(Michał Schulz)で、州建築家ジョゼフ・プシエ(Joseph Poussier)が引き継ぎました。完成年については資料が食い違っており、二つの資料は1805年、三つ目の資料は1822年としています。
作曲家の希望により、大きなアーチ窓をもつアーケードの形のオランジェリーが宮殿に付属されました。もう一つは「アメリカ」と呼ばれるもので、直角に接続され、日当たりのある側がすべてガラス張りでした。宮殿とともに、二つの翼は果樹を植えた小さな中庭を囲みます。読んだ資料のどれも、これらの翼の正確な年代は示していません。作曲家は、自分のオランジェリーはサンクトペテルブルクに名誉をもたらしうると、執事に書き送っており、当時そこには約500種が育っていました。
オギンスキは1822年にザレスィエを永久に去り、領地は衰退しました。第一次世界大戦では、18世紀のバロック様式の建築群が破壊されました。第二次世界大戦では、宮殿にはドイツ側の幕僚が入り、オランジェリーの建物には小学校が入りました。戦後、この場所は、なかでも養老院として使われました。1996年に文化省に引き渡され、2011年から修復されました。宮殿は2014年9月に正式に開館しました(資料により25日または26日)。公園と付属棟は、作曲家の生誕250年にあたる2015年9月25日までに完成しました。その時点で、オランジェリーは息を吹き返しました。


建築と構造
オギンスキの宮殿はL字形の石造りの建物で、一階または二階建てです。ロシア語版ウィキペディアによれば、オランジェリーの回廊が完成すると、その副次的な翼はほぼ60 mに及びますが、他のページは全体を160 × 50 m、オランジェリーの翼を160 mとしています。ベラルーシ語版ウィキペディアによれば、第一のオランジェリーの正面は半円柱と高いアーチ窓で区切られています。直角に接続された第二のものは、一方の正面に連続した斜めの窓があり、ある遺産サイトによれば、日当たりの側は全面がガラス張りです。
ウィキメディア・コモンズの2022年の写真には、長い翼が写っており、その日当たりの側は、木製枠の斜めのガラス面が並び、緑色の板金の切妻で区切られ、斜面の根元には開閉式の換気口が付いています。博物館自身の写真では、鉢植えの柑橘類が斜めのガラス屋根の下で育っています。オープンストリートマップの輪郭は、一階建てで緑色の板金の切妻屋根をもち、約550 m²を覆っていますが、面積を記した文献資料はありません。
修復前の2011年の写真には、湖側に白い円柱が二列に並び、高いアーチ窓をもつ長いホールが写っています。かつては、レンガの橋脚の上の木製の柵が、オランジェリーを隣の水車と結んでいましたが、これは残っておらず、ベラルーシのページによれば再建されつつあります。

植物コレクション
オギンスキの時代、オランジェリーには約500種がありました。作曲家は外国から新しい品種を取り寄せ、ある遺産サイトによれば、そこで70種以上のダリアを育てました。ポーランド語版ウィキペディアは、アプリコットやイチジクの木など、珍しい南方の植物にも触れています。
今日、博物館のページによれば、200を超える種が育っています。企業ミンスクフレブプロム(Minskkhlebprom)の支援でオレンジやミカンの木が植えられ、村の一家は30年生のヤシとコーヒーの木を寄贈しました。オリーブの木やパイナップルも根付き、モモとアプリコットは昔のように実り、イチジクの初めての収穫も済んでいます。公式サイトの写真には、タイル敷きの床の上で、花と実をつけた鉢植えの柑橘類が写っています。このページはまた、まもなくチュベローズがホールを満たすと告知しています。
国の観光機関による2018年のガイドによれば、オランジェリーには植物以外に常設の展示はありません。「オランジェリー。期間限定の展示」と題されたホールでは、植物が芸術家の作品と組み合わされ、19世紀にこの領地で育っていた異国の植物が示されています。
見学案内
オランジェリーは、スマルホンから約12 kmにあるザレスィエの邸宅博物館の見学の一部です。宮殿の一階には十三の展示室があり、そのうち二つが「オランジェリー」の広間です。一つは期間限定の展示に充てられ、もう一つは作曲家の元の夏の食堂に設けられたカフェです。見学はガイド付きで、ロシア語またはベラルーシ語で行われます。
国の観光機関のガイドは、一日がかりの見学を勧めています。イギリス式の風景公園、水車、1815年の礼拝堂、「アメリアの神殿」の東屋、記念の石碑などです。約30 km離れた、strada.byによれば、14世紀のクレヴォ城の廃墟が、この遠足の締めくくりになります。
54.42° N, 26.52° E
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出典 (8)
- oginskizalesse.by/ru/vtoraya-zhizn-oranzherei
- oginskizalesse.by/ru/nasha-ekspoziciya
- oginskizalesse.by/ru/posetitelyam
- izvezda.by/ru/modern_belarus-ru/getElement/7092/
- ru.belarus.travel/news/pochemu-stoit-pobyvat-v-usadbe-oginskogo-v-zalese
- ru.wikipedia.org/wiki/%D0%97%D0%B0%D0%BB%D0%B5%D1%81%D1%8C%D0%B5_(%D1%83%D1%81%D0%B0%D0%B4
- be.wikipedia.org/wiki/%D0%9F%D0%B0%D0%BB%D0%B0%D1%86%D0%B0%D0%B2%D0%B0-%D0%BF%D0%B0%D1%80%
- pl.wikipedia.org/wiki/Pa%C5%82ac_Og%C5%84skich_w_Zalesiu
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