政府植物園のグラスハウス
タミル・ナードゥ州ウーティ(ウダガマンダラム)

2026年9月時点で出典を確認済み
- 年代
- 1912
- 様式
- 鉄とガラスの、植民地時代のヴィクトリア朝様式の温室
- 規模
- 1848年に創設された庭園内に点在する複数の温室群の一部
- 状況
- 一般公開中、修復のため時折閉鎖
1848年にニルギリの高地に、園長ウィリアム・マクアイヴァーが創設したウーティの政府植物園は、最初の仮設の温室を1912年に、より立派な温室に建て替えました。地元の文化遺産団体は、今日これをランドマーク的な建造物とみなしています。花壇に植える予定のベゴニア、シダ、サボテン、ラン、球根植物を守るために建てられたこの施設は、現在は複数の温室からなります。1日に数万人が訪れる5月の「フラワー・ショー」で世界的に知られる植物園は、タミル・ナードゥ州で最も訪問者の多い歴史的名所の一つであり続けています。
アフィリエイトリンクです。Verrière 経由で予約すると、追加料金なしで、当サイトの調査費用の一部になります。
歴史
ウーティの植物園は、ニルギリに住み着いたヨーロッパ人社会の発意から生まれました。手頃な価格の野菜を供給する会費制の計画が1847年の初めに頓挫すると、寄付が集められ、園芸協会と公共の庭園がつくられました。最初の配置図は、1840年代末にツイーデール侯爵(Marquis of Tweeddale)が描き、キューで修業した庭師ウィリアム・グレアム・マクアイヴァー(William Graham McIvor)が1848年3月に着任して園を任されました。彼は約10年をかけて、森に覆われた上部と湿地だった下部を、造園された庭に変えました。1848年が通常の創設年ですが、1842年とする資料もあります。
公共の温室は、庭の花の展示用の植物をひとつの屋根の下に集めるために、1912年に建てられました。庭はその後も広がり続けました。イタリア庭園は第二次世界大戦中にイタリア人捕虜によってつくられ、1992年には在来の樹木からなる1.58 haの樹木園が加えられました。
1896年に初めて開かれた大規模な花のショーは、1980年に政府の管理下に置かれました。庭は現在、タミル・ナードゥ州園芸局が維持しています。
建築と構造
庭は、ドッダベッタの下方の斜面に約22 haを占め、標高は2,250~2,500 mとされています。庭は六つの区画に分かれています。ローワー・ガーデン、ニュー・ガーデン、イタリア庭園、温室、噴水テラス、苗圃です。
したがって温室は独立した一区画であり、花の咲いた植物を見せるショーケースとして設計されていて、隣には湿気を好む種のためのボッグ・ガーデンがあります。栽培用のガラス温室は苗圃にあり、下の芝生から約100 m上で、八つのガラス温室が一連のテラスの間に配されています。参照した資料は、温室の構造、素材、寸法について説明していません。
植物コレクション
温室では、季節に合わせて入れ替わる一年草と多年草の花が展示されます。シネラリア、シザンサス、カルセオラリア、ホウセンカ、シクラメン、グロキシニア、球根ベゴニア、コリウス、ゼラニウム、キク、プリムラなどです。これらの多くは、苗圃の八つのガラス温室で育てられ、そこでは展示用のベゴニア、シダ、サボテン、多肉植物、ラン、球根植物が栽培されています。隣り合うテラスでは、切り花、種子、試験用の植物がつくられています。
庭全体には、外来種と在来種が約1,000種あります。シダ温室には127種のシダがあり、バラ園には、ハイブリッド・ティー、フロリバンダ、ポリアンサの約300品種が集まっています。
見学案内
入口は広い芝生に面していて、そこから小道が温室、イタリア庭園、苗圃へと登っていきます。庭の中央には、インド地質調査所から贈られた、推定2000万年前の木の幹の化石があり、トダ族のムンド(Toda mund)は、ニルギリの先住民であるトダ族の伝統的な住居を思い起こさせます。シダ温室はラージ・バワンへ向かう道沿いにあります。見学には、2時間あれば十分です。5月には、2日から5日間続く年に一度の花のショーが庭の姿を一変させ、非常に多くの人出を集めます。
11.41° N, 76.71° E
この温室の良い写真をお持ちですか? このページ用に提案する →
アフィリエイトリンクです。Verrière 経由で予約すると、追加料金なしで、当サイトの調査費用の一部になります。