ポルティチ植物園のペディチーノ温室と多肉植物温室(Serra Pedicino)
カンパニア州ポルティチ(ナポリ大都市圏)
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2026年10月時点で出典を確認済み
- 年代
- 1877
- 様式
- ベルヴェデーレの壁沿いの鉄とガラスの温室(1877年)。戦後の暖房付き多肉植物温室
- 規模
- 多肉植物温室は約1,000 m²(ウィキペディア)
- 状況
- 植物園は王宮の入場券で入場(火曜から日曜)。多肉植物温室はガイド付き見学のみ。ペディチーノ温室は改装中(公式サイト、2026年10月)
ポルティチ王宮の上の公園に、王立高等農学校が1872年に植物園を創設し、初代植物学教授ニコラ・アントニオ・ペディチーノが、2つの旧遊園の上に整えました。1877年にベルヴェデーレの境界壁沿いに鉄とガラスの温室が建てられ、2000年に修復されたセッラ・ペディチーノには着生植物が置かれており、現在は技術的な改善が行われています。1948年に始まった再建で加わった暖房付きの多肉植物温室では、アフリカとアメリカの砂漠の400を超える種が、雄株と雌株のウェルウィッチア(Welwitschia mirabilis)の隣で育っています。ガイド付き見学でのみ公開されます。
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歴史
ポルティチ王宮(Reggia di Portici)は、ヴェスヴィオ山の斜面と海のあいだに選ばれた土地に、カルロ・ディ・ボルボーネ(Charles of Bourbon)とマリア・アマリア・フォン・ザクセン(Maria Amalia of Saxony)のため、1738年から建てられました。ジョヴァンニ・アントニオ・メドラーノ(Giovanni Antonio Medrano)が工事に着手し、1740年ごろにアントニオ・カネヴァーリ(Antonio Canevari)が引き継ぎ、一部の要素はルイージ・ヴァンヴィテッリ(Luigi Vanvitelli)の作とされます。1758年からは宮殿にヘルクラネンセ博物館(Herculanense Museum)が置かれ、ヘルクラネウムとポンペイの出土品が集められましたが、のちにナポリの考古学博物館へ移されました。1860年にブルボン家が去った後、1872年に王立高等農学校が敷地に移り、上の森に植物園を創設しました。
学校の初代植物学教授で、1873年から1877年まで植物園の園長を務めたニコラ・アントニオ・ペディチーノ(Nicola Antonio Pedicino)は、約9,000 m²の2つの遊園を改造しました。多年草のためのジャルディーノ・ソプラーノ(Giardino Soprano)と、一年草と研究用植物のためのジャルディーノ・セグレート(Giardino Segreto)です。1875年には最初の種子目録(Index Seminum)が出され、1877年にはベルヴェデーレの境界壁に寄せて鉄とガラスの温室が建てられました。1877年から1917年まで植物学の講座を担ったオラツィオ・コメス(Orazio Comes)は、植物園をタバコの品種を含む農業実験へと向かわせ、1920年には植物病理学の庭が、1930年代にはパレルモ植物園からの外来植物が加わりました。学校は1935年にナポリ大学に合流しました。
1943年に作業は止まりました。連合軍による王宮と公園の占領と、その重い車両の往来が、植物と設備の大部分を破壊しました。1948年にヴァレリア・メッゼッティ・バンバチョーニ(Valeria Mezzetti Bambacioni)のもとで再建が始まり、ウィキペディアによれば、彼女は庭園を20,000 m²に広げ、シダ園、ヤシ園、多肉植物の温室を造りました。セッラ・ペディチーノは2000年に修復されました。2014年6月16日には激しい嵐が樹木の一部を壊し、同じ年に王宮の博物館群を運営する Centro MUSA が、多肉植物の仮設の覆いに代わる「グランデ・セッラ(Grande Serra)」の計画を公表しました。最近の修復の最初の工事は、並木道、中央の噴水、照明と灌漑に及んでおり、発表されたコレクションと展示温室の改善に先立つものです。
建築と構造
庭園の歴史的な温室はセッラ・ペディチーノと呼ばれ、1877年のものです。公式の資料とウィキペディアは、庭園の縁に沿ったベルヴェデーレの境界壁に寄せて建てられた、鉄とガラスの構造物と説明しています。2000年に修復されて着生植物のコレクションを受け入れ、王宮の博物館群のウェブサイトによれば、現在は新しい展示のための技術的な改修が進められています。寸法も施工者の名も、参照した資料には記されていません。
暖房付きの多肉植物温室は、1948年の再建計画から生まれたもので、百科事典によれば約1,000 m²です。公式サイトは、その面積も材料も記していません。Centro MUSAの2014年の文書は、当時の多肉植物のコレクションが、記念建造物と景観の環境にそぐわない一連の構造物に収められていたことを認め、それらを単一の建物グランデ・セッラに置き換えることを提案しています。計画地は、王宮と王室庭園の長軸上、ヴェスヴィオ山の方向にあたる、庭園の2つ目の方形区画で、「ジョーコ・デル・パッローネ(Gioco del Pallone)」の壁に寄せ、その壁を舞台背景として扱います。基部を小道が横切り、壁の既存の開口へと通じる閉じた躯体です。ウィキメディア・コモンズに公開された計画図は、これを建築家ドナテッラ・マッツォレーニ(Donatella Mazzoleni)の作としています。このグランデ・セッラが建設されたかどうかは、読んだ資料には記されていません。
植物コレクション
庭園は約1,000種、4,000を超える標本を擁し、主要なコレクションは砂漠の植物です。公式サイトは、多肉植物温室にアフリカとアメリカの砂漠の400を超える種があり、Cactaceae、Aizoaceae、Euphorbiaceae、Didiereaceae、Apocynaceae の各科に分かれると数えています。ウィキペディアは、砂漠のコレクション全体を600を超える種とし、そのうち約400がサボテンで、Agavaceae も加えています。サボテンのなかには、Gymnocalycium、Mammillaria、Rhipsalis の各属があり、南部アフリカとマダガスカルの Alluaudia、Aloe、Kalanchoe、さらに Astrophytum と Ferocactus も見られます。最も賞賛される標本は、南部アフリカの砂漠原産の、ウェルウィッチア(Welwitschia mirabilis)の雄株と雌株です。
2000年の修復後、セッラ・ペディチーノには着生植物のコレクションが展示されました。屋外では、ヤシ園に25種が集まり、そのなかに Phoenix と Washingtonia があります。ソテツ類には、ソテツ(Cycas revoluta)と Encephalartos の数種があり、シダ、針葉樹、食虫植物、食用植物と薬用植物がコレクションを補っています。
見学案内
植物園は王家の領地の上部、フェデリコ2世大学農学部の隣のヴィア・ウニヴェルシタ100番地(Via Università 100)にあります。王宮の入場券で、王室の居室、ヘルクラネンセ博物館、植物園に入れますが、多肉植物温室は、週末に行われるガイド付き見学のときにだけ開きます。宮殿、庭園、Centro MUSA の農学系の博物館群(オラツィオ・コメス植物博物館を含む)を結ぶには半日を見込み、さらに海へ向かう下の公園か、グッソーネ公園(Parco Gussone)とも呼ばれる上の公園へと足をのばせます。ヘルクラネウムの発掘現場とヴェスヴィオ山周辺のほかの遺跡が近くにあります。
40.81° N, 14.34° E
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出典 (8)
- museireggiadiportici.it/it/scopri/orto-botanico-di-portici.html
- museireggiadiportici.it/it/info/orari-e-biglietti.html
- museireggiadiportici.it/images/La-Grande-Serra.pdf
- museireggiadiportici.it/it/ricerca/restauri/lorto-botanico.html
- it.wikipedia.org/wiki/Reggia_di_Portici
- it.wikipedia.org/wiki/Orto_botanico_di_Portici
- en.wikipedia.org/wiki/Orto_Botanico_di_Portici
- commons.wikimedia.org/wiki/File:Grande_Serra_Desertica_Orto_Botanico_di_Portici_2013.jpg
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